仙台空港付近、右は仙台湾。
●5月2日
6時、自宅を出て、バス停にて出発前の朝日を浴びる。
福岡空港─仙台空港。
途中、雪が残る南東北の峰々。
清々しい海岸線だ。
ここをあの津波が駆け上ったことを、私も忘れるわけにいかない。
広々としたJR仙台駅前。
建物2階の位置に歩道が張り巡らされている。
ちょうど昼頃だけど、人も車もそれほど多くない。 ちょっと見辛いだろうけど。
ホテルにスーツケースを預けて、歩いて近いこともあり真っ先に都会の朝市へ。
ちょっと田舎臭くて親しみが持てる。日祝日は休みだし、帰るのは明後日なので、生ものは買えない。伊達政宗が眠る霊廟・瑞鳳殿(ずいほうでん)に。
1931年に国宝に指定されるも、1945年の戦災で焼失、1979年に再建。
2001年の改修で創建当時の色彩が甦ったとされる。
漆や顔料などを用いた装飾。
その華美絢爛さに、ふと、「伊達」という言葉の由来エピソードを思い出してしまった。
大きな広場空間。
旅の途中で深呼吸をする気分になる。
仙台藩十一代藩主夫人・芝姫(あつひめ)の墓。
杉木立を背景に堂々たる墓石に惹かれて撮った。1816─1858年。43歳で死去。芝姫は幼い頃より読書好きで、「四書五経」を読み、歴史や歌などの書物にも親しんだ教養人であったと。仙台城(青葉城)跡から市街地を望む。
これだこれだ。
この伊達政宗像イメージがどれほど仙台の街に溢れていることだろうか。
シンボル的なキャラクターとして旧城主がこれだけ突出しているのは、他に例を見ないのではないだろうか。
ともかく、黒田氏の福岡市や小笠原氏の北九州市には、到底そんな存在は見当たらない。
2011年の東北大震災で被害を受けた、本丸跡に立つ昭忠碑。
1902年、仙台にあった第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立された。
震災により高さ約15mの石塔上部に据えられていたブロンズ製のトビ(東京美術学校が制作)が落下して破損し、6年後に修復されたものの、旧状通りに戻した場合の再落下の危険性を考慮して塔の下に設置したとのこと。
せんだいメディアテーク。
情報・文化の発信基地として仙台市民に親しまれている複合施設。
館内には図書館やミュージアムショップ、カフェなどが。
定禅寺通りのケヤキ並木。
大通りの中央に、彫刻なども立つ立派な歩道が。
この街が市民と生活を大事にしていることが感じられる。
私の好きなアーケード(パサージュ)巡り。
仙台に来てしばらくして感じたのは、まずは街全体に若者(20〜30代)が目につくこと。
福岡市も若者が多いといわれるが、この日私が見た限り仙台の比ではなさそうだ。
カップルも含めて、若者がわさわさ居る感じ。
そしてもう一つ、これは福岡市とはっきり違って、インバウンドの存在がほとんど気にならなかった。
勿論、チラホラとは見掛けたが、昨今の福岡市のように街なかで石を投げたらインバウンド(特に韓国人、台湾人)に当たりそう、という様子ではさらさらない。
釜山からフェリー3時間で来れる福岡市とはやはり違うのだろうけれど、仙台市など南東北にまで足を伸ばす韓国人もまだ少ないのだろうか。
どういう曜日かにもよるだろうけど、インバウンドが少なくて若者が多いということでは、東京からは日帰りで来れるし、結構仙台近郊の人たちが訪れているのではないか、と。
さらに、仙台には大学が10校もあり、教育熱も高い地域のようだが、この日私が見掛けたのは、ちょうど入・進学したばかりの時季の学生たちの余暇の姿でもあったのかも知れない。
夕食はご当地ムードいっぱいの居酒屋で。
小型のスコップを持ち出して大きな牡蠣を鉄板上で転がすパフォーマンス。
私もずっと気になったが、正面の旦那姿は人形。
睨まれているようで何だか落ち着かなかった。
店を出がけに。